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2009年7月

[雑記] [研究] でじたる・さみずだーと

バルトシュのモラヴィア方言に関する書籍をインターネット・アーカイヴからダウンロードできた話についてはこちらの記事ですでに書きましたが、週末にようやくローカルの HDD へダウンロードした『モラヴィア方言辞典(2分冊)』と『モラヴィア方言学(これまた2分冊)』を2駅先のコピー屋さんで自前で出力したものを、店の方に製本していただきました。コピー代と製本代込みで、前者は3650円、後者はだいたい5600円ほどでした。チェコにいた頃だと、デジタル化された書籍のファイルをコンピュータとコピー機をつなげて出力し、それを製本する――という工程など、夢のまた夢でした。それを思うと、出力には少しばかり手間がかかった上に持って帰る際の重量も結構なことになったものの、たったの1万円弱で商業ベースでの復刻はまず望めないような貴重な資料を書籍としての形態で手元に置けるようになったのは、素直に嬉しいです。これで方言地獄も少しは楽になりそうです。

出力作業をしながらふと思ったのですが、研究の内容が内容だけに今後はコンピュータを駆使したこの手の「デジタル・サミズダート」が書棚をどんどん占めてゆく一方で、本屋さんから商品としての書籍を取り寄せることがさらに減ってゆきそうな気がします(少なくとも、国内で出版された日本語で書かれた本を買う頻度は、大学院に入った頃に比べてもかなり落ちました。最近ですと、商品としての書籍を買うのは日本語で書かれた文学作品を除くと、外国で出版された外国語書きの研究関係の文献や研究とは関係無く楽しみで読む読み物ばかりという状態です)。

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[雑記] 部屋の掃除

わたしの部屋を実際に見たことのある人ならご存じのことと思いますが、末期的な散らかりようを呈していることが多いです。「お部屋(おへや)」ではなく「汚部屋(おべや)」という言葉が適しているかもしれません。種々の原稿が完成目前になると、足元は原稿で用いる本やら楽譜やら大量のコピー資料が散乱してゆきます。そのため、原稿がテンパってしまった際には、往々にして部屋の中は抜き足差し足でしか歩けなくなってしまいます。下手をすると、寝床に辿り着くまでに怪我をしかねません(両膝には打ち身がけっこうあります……)。

日曜あたりからずっと続いている鬱状態から抜け出し、博論における最大の難所を気合いと根性をもって攻略するための「儀式」として、久方ぶりに足元の本やコピー資料や部屋の隅っこに数年間積んだままにしていた漫画を整頓して、掃除機がけを行うことにしました。漫画は煙草のヤニも混じった埃をかぶっていたので、消毒用のアルコールで表紙を一冊ずつ拭いてゆくことにしました。当初はすぐに済むかと考えていたのですが、あまりに汚れがひどかったために全冊をきれいに拭き終えるのに3時間もかかってしまいました。自室で煙草を吸うのは去年の秋にすでにやめておりますが、それ以前の自室での煙草の消費量がいかにえげつないものであったのかがよく分かりました……。埃をかぶっていた漫画本を拭き終わって階下の台所で一服付けてから自室に戻ったところ、部屋には消毒用アルコールの臭いが充満していたために、少し気分が悪くなってしまいました。掃除機がけをしたのちに、足元に散らかっていた本やらコピー資料の整頓を行ったのですが、ロシア文学の文庫本が大量にあることに今さらながら気付かされましたし、我ながらよくもまあこれだけの活字を読み散らしてきたものだ――と呆れ返ったとともに、年の経過の速さを改めて感じた次第です。

というわけで、論文執筆を再起動させますので、どうかご鞭撻のほどよろしくお願い致します。

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[雑記] ラヴェンダーの精油で快眠

おはようございます、偽ロシア人アレクサーンドル・スローニンことナカムリャーコフであります。

ここ数日というもの、眠りが非常に浅かったためか心身の調子がまったく良くなかったのですが、手元にあったラヴェンダーの精油を多い目に垂らしたティッシュペーパーを枕に置いて横になってみたところ、久しぶりに熟睡できました。おかげさまで昼過ぎまで熟睡してしまったので日食を拝むことはできませんでしたが、陰々滅々とした気分からは解放されたのでまあ良しとします。

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[雑記] 髪を切りますた(2)

おばんです、偽ロシア人アレクサーンドル・ニコラーイェヴィチ・スローニンことナカムリャーコフでございます。

昨日、ここ数年お世話になっている美容院で髪を切っていただきました。去年の学会発表の直前に切っていただいて以来です。行こう行こうと思っているうちに、あっと言う間に9か月が経ってしまっていました。博論書きやら研究関係の文献読みやその他の野暮用に追われているためになかなか心の余裕ができなかったのですが、湿度が強烈になってきてまとまるものもまとまらない大変な状態――まるで、論文の話のようですが(苦笑)――になってきたので、髪を切っていただくことにしました。おかげさまで、今は頭がだいぶん涼しくなりました。切っていただいている間は、美容師の先生と漫才のような話をしながら盛り上がってしまいました。

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[業務連絡] [音楽]『音楽の友』に小文を寄稿しました

今週土曜に発売される『音楽の友』にヤナーチェクの民俗音楽研究に関する小文が掲載されます(こちらのリンク先をご参照下さい)。村上春樹の『1Q84』でヤナーチェクのシンフォニエッタが取り上げられ、作中で言及されているジョージ・セルが指揮した音源が売れていることを受けて、同誌の編集の方からお声をかけていただけました。正直に申し上げますと、わたしはこの小説家とその作品が大嫌いなので(個人的な好悪についてはっきりと申し上げておいた方が良いかと思うので、ネガティヴな言葉でありますがあえてここに書いておきます。これまで本を読んでいる際にあまりの酷さに怒りを覚えて本気で床に叩き付けたことがあるのは、この自称作家とこれまた自称作家としか言いようのないよしもとばななの二人くらいです。同じモテ田モテ太郎の言行を扱ったものであってもクンデラの小説なら何の抵抗もなくすいすいと読めてしまえるくせに村上春樹の小説はてんで読めないというのは、非モテ系ならではのルサンチマンのなせるわざでしょうねえ。ええ、きっとそうですよ)、この仕事を引き受けるべきかどうかかなり迷いました。ですが、最終的には、彼がエルサレムで行った演説の中での「壁と卵」という言葉にちなんで寄稿することにしました。同誌へ寄稿した文章は、目下執筆中の博士論文の概要を音楽学の研究者ではない方にも簡単に理解していただけるよう手短にまとめたような感じのものにしました。もしかすれば、同誌の基本的な路線からすると場違いな感じがするのみならず、かなりアクが強い代物にもなっているかもしれません(なので、同誌からの依頼はこれが最初で最後になるかもしれません。そういう意味でもレア・アイテムになるかもしれません(笑))。お暇な折にでもご笑覧していただけると、はなはだ幸いです。

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[大工道具] 今さらながら Internet Archive にびっくり……

毎度おばんです、アレクサーンドル・ニコラーイェヴィチ・スローニンことナカムリャーコフでございます。

先ほど、言語学者で民俗学者だったフランチシェク・バルトシュ František Bartoš(1837-1906 すみません、Wikipedia での項目はまだチェコ語版しかありません)の『モラヴィア方言辞典 Dialektický slovník moravský』や『モラヴィア方言学 Dialektologie moravská』をスキャンしたファイルをごっそり Internet Archive からいただいてきました。これだけですっかり興奮してしまっております。前者は、文字通りモラヴィア各地でバルトシュが各地で収集したり先行文献に収められた方言をアルファベット順に集めた辞書です。後者は、モラヴィア各地で話されている方言に見られる特徴を、語彙や正音法や形態論や統語論といった観点から簡潔にまとめた、言わば学問的な方言便覧といった感じの本です。こうした本をメインのテキストとして、そしてヤナーチェクが採譜した「話し言葉の旋律」をサブテキストとしてそれぞれ使ってガチで勉強すれば、現地のご老体以上にコテコテでベタベタのモラヴィア方言を数種類話せるようになるかもしれません。目指せダニエル・カールであります。

まあ、それはともかく、ヤナーチェクが書いたモラヴィア民謡に関する論考を読もうとすると、どうしてもモラヴィア各地の方言やスロヴァキア語とも格闘せざるを得ません。手元にはもちろんモラヴィアの方言を扱った辞典やスロヴァキア語の辞書があるにはあるのですが、ヤナーチェクとともに研究していた人がものした方言辞典や方言研究がどんなものであるのかを知りかったのです。ヤナーチェクがモラヴィア民謡を研究する際には、バルトシュが提唱していた方言の「正書法」や方言分類を踏襲していましたから、現代から見ればかりに「誤謬」が含まれているにせよ、当時の視点がいかなるものであったのかを知るためには、バルトシュによる研究の概要を押さえておくことが不可欠になってきます。そんなわけで、昔からこの2冊が喉から手が出るくらいに欲しかったのですが、チェコにいた頃にはあいにく入手できませんでした。大きな図書館や大学図書館のカタログを調べた際には所蔵されていることになっていたのですが、なぜか現物を拝めなかったのです。おそらくは誰かが借りたままドロンを決め込んだのか、あるいは損傷が激しかったために一般の閲覧を制限していたせいかもしれません。今となっては正確なところは分かりませんが……。

そんなこんなで数年が経過してしまったのですが、先ほどグーグルで上記の書名で検索してみたところ、なんと両方とも Internet Archive からダウンロードできるようになっていることを知りました。『モラヴィア方言辞典』はミシガン州立大学の図書館が、『モラヴィア方言学』はハーヴァード大学の図書館の方々がそれぞれスキャンして下さったもので、件のサイトで検索すればすぐに出てきました。修論を書く際には文字通り一か八かの大博打という感じで(万が一図書館の方に文献のコピーを送っていただけなかったら、修士論文が書けぬまま 糸冬 了 だったでしょうから……)、現地の大学の図書館に論文を執筆するために必要となる文献のコピー(数千ページ分)をこちらに航空便で送って下さるよう何度も手紙やメールで懇願していたのが、昔話のようです。ちなみに、この時に郵送していただいた文献の多くは Internet Archive やチェコの国立図書館のサイトからダウンロードできるようになっていました ○| ̄|_

# チェコの図書館の電子アーカイヴについては、また後日書いてみようかと思います。なかなか凄いことになっています。

それにしても、アメリカの大学は実に恐ろしいです。チェコ人がものした音楽やその周辺に関してアメリカ人の研究者が書いた論文には正直なところ感心したことがないと言っても良いのですが(実質的には、数人のイギリス人研究者とチェコ本国の研究者が何とか回しているという感じがします。ドイツ語圏出身のチェコ音楽研究者は、非常に少ないです。現役でチェコ人の音楽を研究している人と言えば、ドヴォジャーク研究のクラウス・デーゲくらいしかぱっと名前を挙げられません。単にわたしの勉強不足であって欲しいのですが。それはともかく、アメリカ人の西洋芸術音楽研究――自分の研究に近いところでしか言えませんが――に従事している人でいい仕事をしているなと思うのは、リチャード・タラスキンくらいです)、この手の金と人手を駆使した地道な仕事に関してはやはり凄いと言わざるを得ません。

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[業務連絡] 翻訳原稿の刊行

こんにちは、偽ロシア人アレクサーンドル・ニコラーイェヴィチ・スローニンことナカムリャーコフであります。ご無沙汰しております。

出身研究室が出している紀要『阪大音楽学報』の第7号が刊行され、拙稿が「トリ」をとることになりました。関係者の方々には大変な苦労をおかけ致しました。ほんとうにありがとうございました。抜刷を希望される方は、ご連絡下さいませ。何らかの方法で密送致します。

博論はとりあえず340枚くらい書けましたが、最大の難所(2箇所)がまだ手つかずの状態です。難所越えをするには、一夏かかりそうです。少しでも楽になれるように頑張るしかないです。

あと、これは一種の野望語りでもあるのですが、ヤナーチェクの文章の翻訳などという無謀極まりない作業は彼の民謡観を広く知っていただくためだけではなく、近い将来にヴァンチュラやネズヴァルなどの20世紀のチェコスロヴァキア(いわゆる「第一共和国」時代)において活躍していた小説家や詩人の作品をまっとうな言葉で翻訳できるようにするための「エチュード」でもあります(芸術音楽の世界においても「第一共和国」時代の文化状況は非常に豊かなものだったのですが、その全容を捉えることは至難の業です。これからどんどん研究されるべき領域です。というか、わたしもそっちの方に研究をシフトさせたいです、はい。ネタはある程度決まっています)。チェコ人がものした文学作品と言うと、とかくチャペックチャペックチャペックチャペックチャペックなどいう大合唱が起きますが(以前にも書きましたが、個人的にはカレル・チャペックの作品はいくつかの例外を除くと大嫌いです)、20世紀のチェコスロヴァキアで活躍していた文学者はチャペックだけではもちろんありません。彼の他にも素晴らしい小説家や詩人はたくさんいました。ですが、チェコ語を自由自在に操れる人の数は他の「メジャー」な言語に比べると限られてしまいます。なので、どうしても有名どころから紹介するということになると、チャペックほど世界的には有名でない人の作品の紹介は後回しになってしまうのです。英語圏でのチェコ文学の紹介のされ方は、さすがにもう少し間口が広いようです。

このような野望を抱くのは、音楽学者だからと言って文学作品を翻訳してはいけないなどということはないはずだ――と考えているからです。と申しますか、「文学」を「文学の専門家」なる人種にだけ独占させておいて良いものかと思います(例えば、岩波文庫から出ている『オイディプス王』の翻訳は文学の専門家によるものではなく哲学者による翻訳です。本業が何であれ、この翻訳は素晴らしいと思います)。もちろん、単なるマニア的な仕事(この言葉については、ここに掲載されている文章をご参照下さい)で満足するのでなければ、作品の本文だけではなく当の作品の周辺に関する知識を磐石なものにしておく必要はありますが、そうしたことは芸術諸学においてある程度の知的訓練を受けた上で自らがメインとする領域でそれなりの仕事をした経験があれば、必ずできるはずです。

追記(07/07): 昨日、抜刷をキャリーバッグを持って引き取りに行きました。本当に重たかったです。無事刷り上がった文章を見ていると、単純に嬉しくなりました。また、他の方々の論文もなかなか読み応えがありました。

というわけで業績が一つ増えたので、プロフィール欄も少し書き換えました。ご関心のある方は覗いてみて下さい。

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